修理はデザインを壊す作業

修理はデザインを壊す作業

照明修理の現実

照明の修理について思うことがある。

照明の修理というのは、家具などと違って修復するものではない。同じ「治す」でも全く違っていて、既存のデザインを再現するということは物理的に難しい。

照明の部品(例えばソケットやスイッチ)は、それぞれの国や時代の規格に合わせて作られている。国によって微妙に規格が違うし、年代によっても違う。

規格が違うというのは、ソケットそのものの大きさや、取り付け方式、ネジピッチ(ネジ山の間隔)がバラバラということだ。時にはその周辺を加工したり、ワンオフで互換させる役割の部品を作る必要があったりする。日本の電気部品をそのまま組み込むことができないというのは、しばしば起こる。

修理というのは、そういった厳しい条件の中で、デザイン、機能、耐久性のバランスを取ることが重要であり、そもそもデザインを重んじることすらも難しい。予算や耐久性を考えると、理想的な解決策は選べないことが多い。

だからこそ「修理はデザインを壊す作業」なのだ。


オリジナル至上主義への疑問

でも、もう一つ語りたいことがある。それはオリジナルに忠実でないと価値が見出せないという評価についての持論だ。

私はビンテージの面白さの一つとして、鑑賞するだけでなく使える道具として機能するという点に大きな感動や価値を感じる。50年も前のデザインプロダクトが現代の住空間の中で光として機能し、我々の生活を照らしているというのはとても感慨深いものではないだろうか。

「昔のものが使えていること」こそが私にとって最高の敬意であり、愛着でもある。

ただ、その価値観と切り離せないのが安全性だ。

よくある要求として、「既存のオリジナルのソケットは生かしたまま修理して欲しい」と言われることがある。そんな時、断腸の思いで断らせていただいている。「オリジナルに極めて忠実な修理」という要望は理解できるし、できることならそうしたい。

しかし専門家として数十年経ったソケットがどれほど信頼できないものかよくわかっている。電球との接点であるデリケートな部品を新規交換せず、配線やプラグを変えたものが売り場に出される。それを気に入ったお客さんは「修理されたビンテージ照明」として購入する。

私の立場からすれば、ソケットを変えていないものは修理していないものと同等であり、そんなものに100Vの電圧を流して良いわけがない。決して安くはないであろうその買い物が、「修理してある」という言葉だけで、値段にもモノにも信頼を与えてしまう。そこに強い抵抗がある。

この話で一番重要なのは、「オリジナルであること」が、一見すると誠実で、拘りを持って丁寧に扱われているように見えるという点だと思う。

けれど、修理する側の立場から見るとそれは、見た目は完璧でも(オリジナルという意味で)、中身は劣化した部品で組まれた照明でもある。極端な話、明日点かなくなってしまうかもしれないし、条件が重なればショートして煙を出す可能性だってゼロではない。

誤解してほしくないのだが、愛好家が「眺めるための嗜好品」として向き合う世界を否定したいわけではない。そういう価値観も当然ある。

ただ、自宅で使うためにビンテージ照明を検討しているお客さんにとって、「オリジナルに忠実であること」が、そのまま安全性や信頼性を担保するわけではない。むしろ、その逆が起こり得る可能性が極めて高い。

ここで私が引っかかっているのは、リスクそのものよりも、そのリスクに関する情報が、公平に共有された上で購入に至っているのだろうか、という点だ。「修理してある」「オリジナルのまま」という言葉が先に立って、本当は一緒に語られるべき前提が、置き去りになっていないだろうか。

もしオリジナルに忠実に完全に「修復」する場合、当時生産されたものを探し出して組み込むことになると思うが、これはもう技術の話ではなくコレクターの領域である。そして同じく数十年経った部品は、例えデッドストックであったとしても劣化している。配線などは硬化して割れてしまう。

「数十年前のデザインプロダクトを使い続ける」ということに価値を見出すのであれば、持続可能で再現性がある方法を選ぶ必要があると思う。

完璧な復元は一回限りの奇跡かもしれないが、また壊れた時、同じ修理は二度とできない。

願わくば修理する者として、うちで修理したものは10年くらいは壊れてほしくない。もし再び修理することがあるなら、その時も何回でも再現できる手段で、数十年先まで残ってほしいと思う。


本当の価値とは

ビンテージを愛する人や、それらを販売する立場の人は考えてみて欲しい。いつ故障するか分からない完璧な修復(それも期間限定的なもの)と、持続可能な改変による修理方法。

鑑賞することと、使用することでは全く意味合いが変わってくるのではないだろうか。もしお気に入りの照明を修理に出す時に、立ち止まって両者の価値を考えてみてくれたら嬉しい。

私は照明は眺めるものではなく、光を灯してこそ、そのデザインの価値が伝わるものだと思っている。

寺島洋平

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