ネジの規格という見えない壁
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修理現場の地味な困りごと
照明の修理をしていると、地味に厄介なことがある。ネジが合わないのだ。
見た目はほぼ同じなのに、ヨーロッパの照明はメートル法、アメリカやイギリスはインチ法。照明は基本的にニップルと呼ばれる、配線を通すため中が空洞で外ネジが切ってあるパイプ状のものが使われるが、ヨーロッパをはじめ日本の照明(一部を除き)ではM10×1.0(1.0mmピッチ)が主流。一方、アメリカやイギリスの製品は1/8ips(27TPI、約0.94mmピッチ)なのだ。
修理は国も年代も情報がないまま受け入れることが常だが、蓋を開けて初めて判明する事が多い。
ネジの長さ、太さ、相手となるナットなどを含めるとかなり多品種なので、うちの工場ではミリでしかストックをしていない。だからアメリカやイギリスが来ると出鼻を挫かれる思いだ。
例えば、M10×1.0のナットを1/8ipsのネジに入れると、最初は少し入るが途中で止まる。無理に回すとネジ山が潰れて抜けなくなってしまう。「抵抗を感じたら締めない」—これは自然と身についた習慣だ。めねじの内径はほぼ一緒なので、タップを切り直すという荒技もあるが、剛性は著しく落ちるので極力やりたくはない。
世界でこの規格を統一してくれたら、どんなに快適だろうかといつも思う。
この狭い日本でさえも、関東と関西の電圧の違いやエスカレーターの乗る位置が統一されないのだから、統一できない事情は察することができるのだが、気になって調べてみた。
歴史が生んだ意外な対立
メートル法は1791年、フランス国民議会の指示でフランス科学アカデミーによって創られた。地球の子午線の4分の1の1000万分の1として定義され、10進法で計算しやすく設計されている。一方、インチ法は古くから自然に発達したもので、インチは人間の親指の幅、フットは足の長さを基準とし、1824年にイギリスの「度量衡法」で統一された。
この史実を見ていると、まるでフランスとイギリスが意地を張り合っているだけのように思えてならない。
よくよく調べてみたら、まさに激しく対立していた時期だったようだ。ナポレオン戦争や世界各地での帝国主義競争の中で、測定システムは単なる道具を超えて、国家のアイデンティティや誇りの象徴でもあったのかもしれない。
規格が統一されなかったのは、ここの事情が強かったのではないだろうか?
しかし現在でも統一されない理由は、歴史だけではない。製造現場では、規格を変えるコストが膨大になる現実がある。工作機械、測定器具、検査設備—すべてを新調しなければならない。町工場なら数百万、数千万の出費だが、その規格の仕事がどれだけ来るかは分からない。
見えない参入障壁
調べているうちに、興味深い構造が見えてきた。
工具業界を例に考えてみよう。レンチ、ドライバー、六角キー—これらを世界市場で売るには、メートル法とインチ法の両方に対応しなければならない。
小さな工具メーカーには、これは高いハードルだ。製造ラインを二重に持ち、精密な測定器具も倍必要になる。在庫管理も複雑化し、資金繰りを圧迫する。多くは「どちらか専門」で国内に留まらざるを得ない。
対照的に、大手メーカーは最初から両規格を前提とした設備投資を行い、世界展開している。量産効果で単価を下げ、グローバル市場で利益を確保する。
つまり、統一されない規格は「参入障壁」として機能し、既存大手の優位性を固定化している。新規参入者は最初から不利な競争を強いられ、市場の寡占化が進む構造になっているのではないか。
小さなネジから見えたもの
小さなネジ一本が、これほど多くのことを語りかけてくる。
不思議なもので、この「不便さ」こそが我々の存在意義なのかもしれない。大量生産では対応できない、ミリとインチが混在する現場。規格の狭間で困っている人たちがいる限り、我々のような工場にも役割がある。
多様で複雑な世界だからこそ、「なんとかやる」技術に価値が生まれる。そう考えると、少し前向きになれる気がする。
小さなネジ一本が、これほど多くのことを語りかけてくる。