質の質について
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二つの椅子が教えてくれること
二つの椅子が並んでいるところを想像してみてほしい。
A椅子は、長年ブランドの下請けをしてきた経験豊富な工場が作ったもの。構造や木工の深い知識を活かし、座り心地、耐久性、修理のしやすさ、コストを考慮した、非常にシンプルで普遍的なデザイン。
B椅子は、様々なものをデザインする有名なデザイン会社で経験を積み、独立した元プロダクトデザイナーによるインディペンデントブランドの作品。椅子の脚は極限まで細く、まるで浮遊しているような革新的で美しいフォルム。
どちらも、それぞれの信念に基づいて上質なものを提供しようとしている。しかし、この二つは商業的に情報が拡散される性質が違う。
A椅子は膨大な制約—耐久性、修理可能性、コスト、量産効率—の中でデザインされている。道具としての条件を満たすために。B椅子はそうした制約から比較的自由で、美的な完成度や「浮遊感」といった新しい体験を追求している。
境界線について
現代では、デザインとアートの境界線が曖昧になっているように感じる。
「新しいデザイン」として紹介されるものが、実際には試作品レベルで量産が困難だったり、製作を請け負う人がいない状態だったりする。それでも「革新的」として注目を集め、情報として拡散されていく。
見る側の判断も曖昧で、「新しい=良い」という単純な評価軸で、制約の中でのデザインと、制約のない表現を同じ土俵で比較してしまう。
でも、ここで私が考えるのは「質の質」ということだ。
A椅子が追求しているのは「信頼性の質」—安全性、実用性、コストという制約の中で最適解を見つける質。B椅子が追求しているのは「独創性の質」—新しい美しさや体験を生み出すために、従来の制約を超えていこうとする質。
どちらも質を高めようとしているが、目指している「質の質」が根本的に違う。だから、同じ基準で評価すること自体に無理があるのではないだろうか。
それぞれの質を見つめる
何かのプロダクトや作品を目にした時、「どんな質を追求しているのだろう?」と考えてみると面白い。
信頼性の質を追求しているのか、独創性の質を追求しているのか。それとも全く別の質なのか。
私は信頼性と独創性を両立させたプロダクトを見ると興奮してしまう。
一つの基準で「良い・悪い」を判断するより、その背景にある「質の質」を理解しようとする方が、きっと豊かな見方ができるはずだ。
椅子でも、照明でも、建築でも、グラフィックでも。作り手がどんな制約の中で、何を大切にして、どんな質を目指したのか。
そんなことを考えながら見ると、今まで気づかなかった価値に出会えるかもしれない。
寺島洋平