山野 アンダーソン 陽子
Y Lamp
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木工作家
北海道三笠市で工房を構える。材の個性と向き合い成形されたうつわで知られているが、家具の制作もしており、併設されたカフェ兼ギャラリーの内装や家具も彼自身の手によってつくられている
基盤として家具制作を行なっているため、木工全般の機械設備が整っている工房。小さなうつわだけでなく、様々な家具たちが彼の手で一つ一つ作られている。
工房に併設されたカフェ兼ギャラリー”Mitsuki” 「個」だけでなく全体への世界観や作り手ならではのディテールの美しさが滲み出ている。
木工にはさまざまな加工法があり、家具とうつわでは使用する機械や工具が全く異なる。今回のプレートは、主に回転する製作物に対してバイトと呼ばれる刃物を押し当てて切削するウッドターニングという技法で作られている。ウッドターニングには木工旋盤という機械が使われ、これは日本のうつわ製作で古くから用いられている木工ろくろと似ている。
両者は主に回転体の形状を作るのに適しているが、簡単に言えば、旋盤は製作物を二点で支えるため、外側(側面となる部分)を長い距離で削ることに向いており、テーブルの脚や道具の柄などの製作に最適化している。一方、木工ろくろは片側のみを支えるため、お椀状の内側を削るのに適している。木工旋盤でもお椀を作ることはできるが、小ぶりのお椀のような形に関してはろくろの方が効率的に作ることができる。内田さんが木工旋盤を選んでいるのは、家具製作が起点となっているため、その選択は自然な流れに思える。僕自身、木工旋盤を所有しており、製作の経験があるのだが、「漠然とした形を作る」という点においては比較的誰でも取っ掛かりやすい製造法と言えるかもしれない。ただ、木は生き物である為、材の性質を考えながらの見立てが必要なので、技術だ けでなく材に対する深い知識が必要とされる。
作家の作品を見ていると、表面の仕上げ方に表現が込められたものを多く見かける。私も時々意識することであるが、材と加工方法によって生まれる独自性のある凹凸を意識するというのは表現として重要視される要素の一つであると思う。彫刻製作で耳にする「カービング」と「モデリング」という用語がある。「カービング」は刃物などで削り出した調子を指し、「モデリング」は粘土などの柔らかな素材を加えた調子を意味する。少し雑な例えになってしまうが、木工にはカービングの要素が強く、陶芸にはモデリングの要素が強いイメージを持っている。 こういった「手や道具の跡を残す意味」と向き合い、探求する作り手の姿勢には共感できる。
内田さんの作品を初めて見た時、妙な違和感を覚えた。形には装飾性がなく、先に述べたように作り手の存在感を感じることができない。例えるなら、精巧なメス型でモールディングされた樹脂のような冷たさを感じた。しかし妙な事にその無機質 さが、木という素材の持つ温かさを引き立てている。
彼の作品は私が抱いていた「作家作品」のイメージとは少し異なり、まるでコンテンポラリーアートのようにも、デザインされたプロダクトのようにも感じられる。表現が難しいが、感覚的なアプローチというよりも、引き算を繰り返した論理的な製作スタイルが近いのではないかと思えてくる。それは形そのものにも表現されており、リムの細さや、まるでパンの生地を少しだけ凹ませたようなプレートなど、彼の作るうつわのディテールの至るところで、その材の「滋味深さ」を感じ取ることができる。
内田さんに自分が感じた印象について尋ねたところ、主役は「木」であり、自分自身の個性を消すことで素材の魅力を引き出すことを意識していると語ってくれた。 また、「作り手の手痕を残さない」という制約を設けることで、材の魅力に対する厚みや角度といった関係性に深く向き合うことができるとのことだった。その話を聞いて、違和感やディテールが醸し出す雰囲気について、腑に落ちる理解を得たの は言うまでもないだろう。
しかし、私が特に面白いと感じたのは、これまでの「素材」そのものを主役として重視する姿勢から新たな気づきを得たことだ。素材の魅力を引き出す意識は誰しもが持っていると思うが、作り手の存在感を消すことがその実現に繋がるという考え は、何と奥深いものだろう。ものを造る際には、雑音となる要素を排除していく過程を通じて、単純な形状の中に複雑な特性が隠れていることに気づく事がある。 それは、素材と作り手との関係性を見つめ直すきっかけを与えてくれる。こうした彼の仕事を通じて、「表現とは何か」という問いに対する理解がより深まるのを実感した気がしたし、私自身の創作活動にも新たな影響を与えてくれるに違いない。
今回のプロダクトは、内田さんのギャラリーでの個展に向けてのものだった。インテリアのプロダクトという観点ではなく、作家の作品自体に焦点を当てることが重要だと考えた。照明の役割は、単に空間や物を照らすことに留まらず、人々の心を引き付ける力を持つ。焚き火やろうそくのあたたかな光が人を魅了するように、今回の照明も作品となる部分に光が灯り、木の持つ魅力そのものに視線を集めるようなプロダクトを目指している。照明に使用される部品は、内田さんのウッドプレートと同じく、回転体で構成されていることが多く、親和性が高い。外観は暖かさを感じさせないように直線的なシルエットを意識した。ウッドプレートの木肌を発光させるために中央には電球を配置し、材そのものを凝視できるようにヘラ絞りで作られた光源を隠す部品を取り付けた。元々はブラケットタイプとして設計を考えていたが、より柔軟に使えるようスタンド式に変更。これにより、多様な使用環境に対応でき、建築に手を加えることなく設置可能なメリットが生まれる。
中央の電球から放たれる直接光は、プレートのリム内側に垂直に当たり、その部分が特に強く照らされる。一方、光源を隠すカバーの内側に当たった光は反射光となり、ウッドプレートの平らな面を柔らかく照らす。この直接光と反射光の境界には大きなアールがあり、光の階調を豊かにしている。光はウッドプレートの端に達すると照らすものを失い、プレートの内側全体に光溜まりとなって留まっている。材ごしにみる関節光はぼんやりとした明るさを生み出す。 このようにして出来上がった今回の照明は、自然光のもとで見るイタヤカエデの杢の美しさが、灯りが灯ることで新たな表情を作り出している。
これは正直に言えばイメージができていない事だったが、こうしてできがった光を見てあらためて不思議に感じた。内田さんのプレートの表面はとてもきめ細やかに仕上げられているのだが、杢が浮かび上がるような表情を生み出している。理屈で言えば、表面の粗さが均等なものは反射もフラットなものになりそうだが、木目の色の違いや杢というのはそれぞれ光の吸収率が違うのだろうか。こうして生まれた反射光が材料一つ一つの個性をつくりだしているのが、私にとっては新しい発見で あった。
照明は単なる道具としての機能を超えて、人々の心を温める存在でもある。焚き火のように、時には心を照らすようなものがあっても良いと思っている。そのような空間が生まれることで、新たな感覚やコミュニケーションが生まれることを期待し ている。
Yu Uchida
+ bowks